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2016年5月2日
高齢・多死社会に感じること
高齢・多死社会に感じること
<人生には必ず、幕引きがある>

〜林寛之 福井大学病院 救急科教授〜
ER(救命救急)診療のパイオニアの一人として抜群の実力と人気を誇る。
テレビ番組への出演など華やかなイメージが先立つが、
それを実現する膨大な作業と努力に想いを馳せれば、
ストイックな素顔が見えてくる。
人を惹きつける明るさと人なつっこい笑顔は母譲り。
自ら動く広告塔となって、若い医師たちの教育に力を注ぐ。

救急をやっていて一番辛いのは、
こどもや働き盛りの人が亡くなったとき。
人間死ぬのは1回だけです。
医者は常に人が死ぬのを見てますが、
その人が死ぬのは1回だけだし、
家族にとっても1回だけですね。
そういう時のグリーフィングケア、会話の仕方などには訓練が必要です。
訓練によって、ある程度は出来るようになります。

患者さんが亡くなったときには、
簡潔に死亡したということを伝えます。
ご家族は泣かれますが、その間は矢継ぎ早に説明したりせず、
一緒にじっと時間を共有し悲しみを十分に吐瀉してもらう。
少し落ち着いたところで、経過など事務的な説明をします。
そしてその後、元気だった頃の話を聞くんです。
亡くなった人を思い起こし、その人について話す機会を与える。

ご家族の中には、医療ミスじゃないのかとか、ガッと怒りをぶつける人がいますが、
これは目の前に受け入れられない現実があるときの「否認(ディナイアル)」という正常な反応です。
医者がそれをまともに受けてケンカをしてはダメで「つらいですね…」ってひとこと言えばいいんです。

<元気なうちに、最期を迎えるときの意思を確認しておく>

実は今はもう「救急医療=老年医療」になってきています。
例えば、98歳の高齢者が救急搬送されて来る。
誤嚥性肺炎で6回目の救急搬送、その度に入院して持ち直していたけれど、
今回はもう瞳孔が開いて救急隊が心臓マッサージをしている。
そういう時、よく若い先生方が「人工呼吸器に繋ぐか、強心剤を使うか、
どこまでやるのか、ご家族が決めてください、もう時間がありません!どうしますか!」って言うんです。
そうすると家族は焦って「ぜ、全力でお願いします!」となる(笑)。

それでまた、心臓が動き始めてしまって、ICUに入って1泊50万も100万もする治療を2、3日続けて結局なくなるんです。
その200万から300万の医療費は税金で払う。どうしてこんな無駄な医療をするんでしょうか。

こういう場合には、蘇生しても植物状態で人工呼吸器に繋がれ、施設に入るか、
家に連れて帰ってご家族が面倒を見なければならないのですよ」という説明の仕方をすると
「いや、うちのオヤジはもう充分生きたから結構です」という人が多いですね。
また一番大事なのは、「ご家族の方が決めてください」と丸投げするのではなくて、
ご本人が元気だったとき、どんな最期を迎えたいと言っていましたか」と聞くことです。
「寝たきりは絶対にイヤだと言っていました」「そうですか、ではご本人の意見を尊重しましょう」と。

家族としては「蘇生をしないでくれ」というと自分の責任で親が死んだように思うので、
かなり過大な負担になるんです。
それが分からずに「あなたが決めてください」と言っている医者が多いですね、まだ(トホホ…)。

死に方のパターンは4つ。わずかに7%しかいないピンピンコロリ。比較的ピンピンしていてバタバタッと悪くなるガン。
COPD(慢性閉塞性肺疾患)や心不全などは、良くなったり悪くなったり上下しながら弱っていく。
そして、認知症の老衰は低空飛行ですね。死にそうで死なない。危うくなれば救急車が来るからまた持ちなおす。
年齢や今までの経過をみれば、いつ死んでもおかしくないのに持ち直すものだから、
周りは映画「スターウォーズ」のヨーダみたいに900歳まで生きると思ってますよ。
主治医に覚悟するように言われたのはもう2年も前だし、ずっと生き延びると思ってました、だって。

何れにしても本人が元気なうちに、主治医が最期を迎える時の意思をきちんと確認しておかないとダメなんです。
そういう意味では、医者の教育は非常に大事です。
今は、POLiST(Physician Orders for Life-Sustaining Treatment:生命維持治療に関する医師指示書)というものがあるので、
それを作っておくべきだと思いますね。POLiSTは医者の処方箋と同じです。
蘇生してはダメと指示されていれば、してはいけない。
リビングウィルを持っている人がいますが、あれはあくまでも患者さんの主張にすぎないので、
医者はそれを無視して治療をしても構わないんです。

<一般の人が、そんなに簡単に親の最期を決められるわけがない>

高齢者医療を真剣に考えなければいけない、と思ったのは、父の死を経験してからです。
父は「寝たきりは絶対イヤじゃ」と言っていたんですが、誤嚥性肺炎を繰り返して入院し、寝たきりになってしまった。
入院当初はさんざん家に帰りたいと言っていましたが、1ヶ月もすると何も言わなくなった。目が死んでるんです。
オムツや色々な臭いもして、あの威厳のあったオヤジが、流木のような姿でそこにいる。
父親としてそんな姿を息子に見られるのはイヤだろうな、申し訳ないな、と思って。
それに、胃瘻や静脈栄養をするような生かし方はしたくない。
結局、主治医や在宅をやっている仲間と相談して、家に連れて帰ることにしました。
家でオヤジをいつもの部屋のいつものベッドに寝かせたら、突然動きはじめたんです。
グー!、グー!って。OKサインですよ。どれだけ家に帰りたかったんだか!
3ヶ月も入院させてしまった罪悪感をものすごーく感じましたね。

家では点滴なし、水分は口を少し湿らせるだけ。最初の2日間は意識が多少戻って、
全然喋れないはずなのにお袋と意思疎通した雰囲気があって。
3日目から昏睡状態になり、5日目に僕が出かけようとして声をかけたら、息をしてなかった。
葬儀屋さんが、ご遺体が軽いですね、って言ったんです。
それを聞いたとき「ああオヤジいい死に方をしたな」と思いました。
実は干からびて死ぬ方が自然でツラくないんですよ。
オヤジを家に連れて帰ることを決めたときは、自分が親の死を決めてるんじゃないかっていう、
大きな不安というか葛藤がありましたね。
それでも寝たきりは絶対イヤだとしつこく言っていたオヤジの望みは、叶えなきゃいけないだろうと。
あのまま病院にいればあと半年くらいは生きたと思いますよ。
1日に1本点滴するだけで、2-3か月は生きますから。

医療者でさえ、そういう不安や葛藤があるのだから、一般の人がそんなに簡単に親の最期を決められるわけがない。
いろいろなプロセスが必要なんです。医者として、そのお手伝いをしてあげたいな、という気持ちがありますね。

<医者は、生き方の終わり方を考える手助けもできなければ>

人間は100%必ず死ぬ動物です。
人生には、必ず幕引きがある。本人と家族にとって、最も良い人生の幕引きはどうなのか。
医者は患者を助けるだけでなく「生き方の終わり方」を考える手助けもできなければいけないのではないか。
医者も含めて国民の教育が必要です。
その理解が広く進めば、多くの人が無駄に医療費をかけず、無駄な罪悪感にも苛まれずに逝けるのではないかと思います。

僕自身は、年をとって身体が利かなくなったら施設に入る。
家族の24時間介護は疲弊します。仕事でやる人たちは時間で交代ができるし、オムツ替えなども上手です。
その方が安心して任せられる。そして蘇生は絶対にしない。
とくに誤嚥性肺炎は、病気というより老衰からくる機能障害ですから、
それで治療なんか一切しない。そのためにも、将来的にはPOLiSTをキチンと作っておこうと思っています。

参考文献:私の死生観 高齢・多死社会へのプロローグ Medical ASAHI, March 60-61, 2016

<院長より>
常に死を間近にした救急医療の現場からの説得ある報告です。
私も林先生のように「心の大きな懐の深いドクター」にを目指したいです。
地域の皆さまに支えられ歩んできました。
いつも温かく見守って下さり、誠にありがとうございます。